犬と狼の間

え?遊んで食べて寝てちゃだめ?

ミュージカル『next to normal』感想


N2N観てきました。2チーム制なので両チーム観たかったんだけれどチケットが厳しかったので好きな役者重視でAチームを二回。曲もストーリーもお気に入りの作品になりました。
以下感想です(普段から特に注意書きしてませんが当たり前のようにストーリーの核心ネタバレしてます)




【あらすじ】(上記公式サイトより引用)

母、息子、娘、父親。普通に見える4人家族の朝の風景。

ダイアナの不自然な言動に、夫のダンは優しく愛情をもって接する。息子のゲイブとダイアナの会話は、ダンやナタリーの耳には届いていないように見える。ダイアナは長年、双極性障害を患っていた。娘のナタリーは親に反抗的で、クラスメートのヘンリーには家庭の悩みを打ち明けていた。

益々症状が悪化するダイアナのために、夫のダンは主治医を替えることにする。新任のドクター・マッデンはダイアナの病に寄り添い治療を進めていくが・・・。


このミュージカルの素晴らしいところはまず何と言ってもロックミュージカルの名にふさわしい曲の格好良さだと思う。登場人物の感情の揺らぎが生バンドの演奏とともに爆発して観客を無条件で作品に没頭させてくれる。
トニー賞のパフォーマンスにも使われているけどYou Don’t Know~I Am the Oneの流れが最高。しかもその後にSuper Boy and Invisible GirlI’m Aliveと続いていくのって強すぎる。BW盤のサントラがサブスクにあると思うのでぜひ聴いてみてほしい。たとえ話がわからなくても音楽アルバムとしてカッコイイから…。ちなみに新演出で若干歌詞が変更されたけれども海宝直人さんの歌う日本語Verの『I’m Alive』も配信されています!

とはいえ、曲が格好いいだけのショーミュージカルだったのかというとそうではなく芝居の比重も高い作品だった。

ダイアナは双極性障害を患い躁鬱を繰り返していて、生後八か月で亡くした息子、ゲイブの成長した姿の幻覚をかなりはっきりと見ている。夫のダンはそんな彼女を献身的にサポートしてはいるが、根本のところで彼女の苦しみを理解していないように見える。一人娘のナタリーは、自分を見てくれない両親に苦しみ、自分もいつか母のように狂うのではと恐れている。
私は初見時、ゲイブを元気なトート(I’m Aliveでの“圧倒力”の印象が強すぎた)だなあと思ったのだけど、二度目はゲイブ中心に話を追ったからか「ダンとダイアナの息子であるゲイブ」だ!と強く思った。I Dreamed Danceも初見では死への誘惑という印象が強かったけど、二回目は母を救うにはこうするしかないとゲイブもまた傷ついているんだ…!と思って泣いた。ゲイブの自我ってどうなんだろ。どこまでがダイアナが介入して創造したゲイブでありどこからがゲイブ自身の自我なのか。電気療法を受けてゲイブの記憶を失ったダイアナに寄せる悲しみはゲイブ自身のものであるはず。そもそも、『ゲイブはダイアナが見ている幻覚である』というのは医学的に考えた見地であり、『存在しない』証明はなされていない…この辺はあと50回くらい観て考察したいところですね。

ちなみに劇評や感想を読んで自分の解釈とひとのそれが全然違っていて驚いたのはI Am the One(Reprise) からラスト。私は「ダイアナを失って今度はダンがゲイブに救いを求めて狂っていくんだ…だから二人は最後赤い服を着ているしLightは不協和音なんだ…苦しみの輪廻は終わらないんだ!!」と脳直で思ったんだけど、ダンがゲイブの存在を認めたことでゲイブは救われて消えた…という解釈もあるみたい。私はフィクションを地獄の方向に解釈するクセがあるなと反省した*1



偶然にも「アメリカが舞台で息子を亡くして傷ついている妻とサポートする夫」の構図が前回観た『ラビットホール』と同じだったのだけど、ラビットホールはストレートプレイで観れて良かったと思ったのに対してN2Nはミュージカルで良かったなあと感じた。おそらくストレートプレイで観ていたらダイアナに感情移入出来なかっただろうな…。登場人物の内面世界に曲と歌のパワーで引っ張っていってもらえるのがミュージカルの醍醐味だと思う。あと曲が流れるとすぐにシーンを思い出せるのもミュージカルの強みだよね。サントラを聴きながら早く再演してほしい…と思いを募らせています。

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会場はシアタークリエでした。地下が苦手なのでなんとなく苦手意識があったんだけど徐々に好きな劇場になってきました。やっぱりコンパクトなホールの方が好きなんだよなー。

*1:フィクションにおける「地獄」「救いのなさ」「後味の悪さ」大好きガールです